久々の更新はサッカーのお話です。

興味の無い方はゴメンなさい。

ペコリ(o_ _)o))

1974年7月3日

ワールドカップ西ドイツ大会 2次リーグ オランダvsブラジル

この2チームの背景を

まずオランダ。

FIFAの認める歴代最優秀監督ミケルスの率いるオランダ。

「トータル・フットボール」の名のもと当時としては衝撃的なサッカーを展開。

当時「ボール狩り」と呼ばれた前線からのプレッシング。

苦し紛れのロングパスを全て封じるオフサイドトラップ。

対戦相手はただひれ伏すのみ。

まさに破竹の勢いで勝ち進み

ここまでの失点はオウン・ゴールの1点のみ。

完璧なサッカーを展開していたのでした。

攻撃の中心はヨハン・クライフ。

当時のサッカー界の常識を無視してエースなのに14番をつけ

プーマと個人契約してたから

アディダス製だった当時のオランダのユニフォームの肩の線は彼の分だけ

アディダス伝統の3本線の1本が消されてました。

続いてブラジル。

前回大会で優勝して初代ワールドカップを永久保持する権利を得たブラジルですが

その優勝の立役者ペレは代表を引退。

攻撃のチームから一転して守備型の堅いチームになってしまいました。

1次リーグでは点が全く取れずに

強固な守備で何とか突破。

でも2次リーグではアルゼンチン、東ドイツを連破して

オランダとの決戦を迎えるのです。

攻撃の中心はリベリーノ。

スーパーマリオよろしくオシャレな口ひげを蓄え

フリーキックで弾丸のようなキックを蹴る男。

東ドイツ戦では決勝点となる伝説のフリーキックを決めました。

ちなみにセルジオ越後さんのブラジル時代のチームメイト

所属チームでレギュラーを争った仲です。


今のようにブラジルの選手はヨーロッパで活躍してない時代。

もの凄いライバル意識、プライドがむき出しあう激しい試合となります。

オランダはやはりポゼッションで勝るものの

ブラジルの激しい抵抗に手を焼きます。

そして今だったら1発退場となるようなエグいファールが続出。

ラグビーのように相手を止めます。

そして相手を消耗させてからブラジルが時折カウンターを見舞います。

何度か守備陣の網を潜り抜けてシュートを放ちますが

得点に至らず。前半は0-0で終了します。


後半開始早々。

右サイドでクライフがボールを持ちます。

中は一枚。センタリング上げても普通ははね返される場面。

しかしブラジル守備陣の僅かな隙間にボールを上げ、

それを中で待っていたニースケンスがつま先でゴールに流し込みます。


攻めなくてはいけなくなったブラジル。追いつこうと前掛かりになりますが

そこに待っていたのはオランダのカウンター。

左サイドに素早く展開して、ピンポイントクロス!

中に走りこんできたのはクライフ!

そして彼が「フライング・ダッチマン」と呼ばれる所以となる

見事な後世に語り継がれるジャンピング・ボレーが決まって試合は決まりました。


その後ブラジルは悪質なタックルで

守備の要ペレイラが退場してしまいます。

そんな中でもペレイラはオランダサポーターを挑発。

紙コップが投げつけられる中

ペレイラは左手に3本、右手に2本の指を立てます。

ブラジル3、オランダ2と言わんばかりに。

彼の意地とプライドを感じさせました。


オランダ2-0ブラジル。


ワールドカップの中でもブラジルがここまでけちょんけちょんに負ける試合は

ほとんどありません。

敗れる時でも試合は支配してたり(1990年のアルゼンチン戦、2002年のフランス戦)

運によるPK負けだったり。(1986年のフランス戦)


その意味でこの試合は

かなり貴重な試合といえます。